あのね良太郎、私もう大丈夫だよ。やっと一人で歩けるようになったんだよ。
そう言って笑う君に、僕は笑顔を返すことができなかった。
僕の右手が君を引き止めませんように
繋いでいた手が、離れていく。
僕を真っ直ぐに見つめるその瞳には、未来に希望を持つ鮮やかな光がともっていた。
この手を離さないで、と震える声で僕の手を掴んでいたさんの面影はまるで見当たらない。
「あのね。私、今の自分なら勇気を出せるような気がするの」
良太郎のおかげだよ、と言って幸福そうな笑顔を浮かべるさんの姿は、今の僕には眩しく見えて。
僕は一瞬、心臓にちくりとした痛みを感じた。
(あれ。なに、これ)
さんの心からの笑顔が見られて、僕は嬉しいはずなのに。
ずっと、望んでいたはずなのに。
どうかさんが笑ってくれますように、って。
僕の手とさんの手を交互に見つめた。
小さくか細いあの愛しい手は、もう僕の手に触れてはくれないのだろうか。
「今までありがとう、良太郎」
まるで、母親にお礼を言うかのような様子で告げるさんの姿に、僕の心はざわついた。
僕にとっては、愛しい人に別れを告げられたも同然で。
自分の中から溢れでてくる衝動を、僕は必死で抑えた。
今すぐさんの手を掴んで、引き寄せて、抱き締めてしまいたかった。
行かないで、ずっと僕の手を掴んでいて。
僕を置いて、前になんて進まないで。
なんて、醜い感情なんだろう。
こんな重くて暗い気持ちを抱えた僕なんかが、さんの側にはふさわしくないんじゃないだろうか。
そう思うと、涙が出そうになるほど胸が締めつけられた。
「それでね、良太郎。あのね、」
何かを言いづらそうにうつ向くさんが、か細い声でぽつぽつと呟いた。
ああ、このまま貴方を抱き寄せて引き留めることは、果たして罪になるのだろうか。
そんなことばかり考えていた僕の右手に、そっと温もりが触れられた。
いつも感じていた、あの優しい温もりが。
「今度は私が、良太郎に恩返しするから。良太郎が困ってる時、私が引っ張ってあげる」
そう言って恥ずかしそうに微笑むさんの頬は、ほんのりと赤く染まっている。
(さんが、笑ってる)
(よかった。本当によかった)
そう感じた瞬間、僕の眼から次から次へと熱いものが流れ出てくるのがわかった。
さんの前でカッコ悪いなと思ったけれど、それでも涙は止まらなくて。
温もりに包まれている手にぎゅっと力を込めれば、さんはそれに応えるように僕をそっと抱き寄せてくれた。
このまま側にいてもいいですか。
この手を掴んでいてもいいですか。
それは、貴方が前に進むことを邪魔する行為ですか。
例えそうだとしても僕は、変わらず貴方の温もりを求め続けるでしょう。
同時に、貴方の幸福を祈りながら。
おわり。
お邪魔いたしました。
2007/5/31>>クラより。